思い出のサインボール
2004年の10月1日、中日ドラゴンズが5年ぶりにペナントレースを制覇した。
名古屋軍時代を含むドラゴンズ68年の歴史で、これで6度目の優勝だ。中日ファン以外の方は意外と少ないと驚かれると思う。
やけに2位が多い球団で、特に94年の巨人との10.8決戦、エース今中を要してのまさかの敗戦に、ドラファンは涙を飲んだ。泣いた、叫んだ、庄内川に身を投げた。
僕もその試合、立浪の決死のヘッドスライディングで肩を怪我したシーンが
今も目に焼きついて離れない。
しかし、今年2004年の優勝。僕はこうしてテキストサイト管理人として優勝記念日記を書いている。っていうか、優勝する前にこの日記を書いてるんだけど、今頃の僕は勝利の美酒に酔いまくってると思う。まあ、今日は中日ファン以外の方も中日の優勝を祝ってやってください。
さて今日は、これまでの中日ドラゴンズの優勝と、その時の僕を振り返ってみよう。
99年の優勝
ドラファンの間で今も語り継がれる山崎武司の逆転サヨナラ3ラン。
その時僕は、仕事中にこっそりテレビを観ていて、思わず
「よっしゃーーー!!!」
と歓声を上げてしまった。仕事中なのにガッツポーズ。
あわわ・・・やっちゃった・・・
怒られるかと思ったんだけど、みんな一緒に喜んでくれた。
その時誰もが優勝を確信した大きな一発だったからだ。
いいよね、やっぱ野球っていいよね。みんな、
仕事なんてどうでもいいよね。
88年の優勝
星野仙一を監督に迎えて2年目、Bクラスの常連だったドラゴンズが
悲願の優勝。その年は昭和63年。翌年の昭和64年は7日しかない。
これでお分かりと思うが、優勝の喜びも半減した年だった。
そしてこの日記の主題と言える1982年の優勝。
その時の僕は野球のルールなどほとんど知らない子供で、野球にはハッキリ言って興味が無かった。
ただ、親父は大の野球好きで、アマチュアチームを結成していたくらい。
おかんは「野球中継ばかりでテレビがつまらない」といつも文句を言っている野球嫌いだった。
それがね、優勝記念の講演会があるからといっておかんに近くの公民館に連れて行かれたんですよ。
どうやら親父の指令だったみたい。親父は入場者が貰えるドラゴンズ優勝記念グッズが欲しかったみたい。
講演会ではドラゴンズのV戦士たちが数名挨拶に来てた。多分、小松や都や牛島、宇野などだったと思う。
なにしろナイター中継の時間は親父がテレビを占領してたから、野球に興味が無いながらも主力選手くらいの名前くらいは知っている。それでも球団首脳陣の講演は退屈だった。子供だった僕には難しい言葉を使われてもさっぱり分からない。もうそれは、成人式にお祝いに駆けつけた市長のあいさつ並にツマンなかった。
そして講演会の最後。入場者に渡されたお土産の中に入れられたくじの抽選会が行われた。
当選者には硬球もしくは軟球で選手のサインボールが当たるというのだ。
僕の持ったくじは見事に当選!それも硬球のサインボールが貰える!
有名人のサインなど貰ったことの無い僕は色めきたった。ヤッホーイ!
会場を出て、サインボールの引き換え所には当選者の人だかりが。
僕がその人だかりに入ったら押しつぶされてしまうので、おかんが引き換えに行ってくれた。
「お母さん、谷沢か田尾選手のサインが欲しい!」
バーゲンセールのような人ごみをかき分けておかんはサインボールの引き換えに突進。
「やーざーわ、やーざーわ!たーお、たーお!」
僕の歓声を受けておかんはサインボールをゲット。銀色に輝く硬球のサインボールを手に入れた。
「ねぇ、谷沢選手か田尾選手のサインボール取れた?」
「そんな余裕無かったよ、誰のかわかんないけど、これしか貰えなかった」
一体誰のサインボールなんだろう?ボールに書かれたサインは誰のものか分からない。ほら、サインって結構読むの大変じゃない、非常に分かりずらいモンじゃない。
僕はボールに書かれたサインを見つめながら、これは誰のサインなのか必死に読み解こうとする。
谷沢・・・田尾・・・牛島・・・違う。どうやってもそのサインはそれらの選手には変換できない。
誰だ・・・誰だ・・・誰のサインなんだ・・・
家に帰ったその日の夜、親父に見せたサインボール。
僕は結論を得た。
「尾上」
・・・・・・・・・誰?
よく見ると、それは見紛う事なき「尾上」という2文字。
当時の僕を含め、尾上選手をよく知らない人のために、尾上選手の打撃成績を紹介しましょう。
尾上 旭 内野手
| 年度 |
所属 |
背番号 |
試合 |
打数 |
安打 |
本塁打 |
打点 |
打率 |
| 1982 |
中日 |
14 |
50 |
65 |
14 |
1 |
9 |
.215 |
| 1983 |
中日 |
14 |
57 |
67 |
15 |
2 |
5 |
.224 |
| 1984 |
中日 |
14 |
57 |
43 |
8 |
1 |
10 |
.186 |
| 1985 |
中日 |
2 |
81 |
70 |
14 |
0 |
3 |
.200 |
| 1986 |
中日 |
2 |
70 |
96 |
17 |
1 |
5 |
.177 |
| 1987 |
中日 |
2 |
18 |
9 |
1 |
0 |
0 |
.111 |
| 1988 |
近鉄 |
19 |
15 |
15 |
4 |
0 |
1 |
.267 |
| 1989 |
近鉄 |
19 |
1 |
2 |
1 |
0 |
0 |
.500 |
| 1990 |
近鉄 |
19 |
13 |
10 |
3 |
0 |
0 |
.300 |
| 1991 |
近鉄 |
19 |
一軍出場なし→引退 |
・・・・・・・・・・・
どうやら82年はルーキーだったらしい尾上選手。
50試合で65打席。それって代打要員だったってことだよね?
それでも1982年の優勝に打点9で貢献した尾上選手。
・・・・・・悲しすぎる。(僕が)
いや、それでもルーキーイヤーで50試合出場は立派ですよ。うん。
ですが、悲しいことに翌年からもあまりパッとしなかった尾上選手。
1987年はたったの1安打で、翌年近鉄に放出されてしまう。
・・・・・・・・
尾上選手には失礼だが、軟球の方にサインしてくれないかな?ほら、硬球のサインボールってけっこう当選確率低くってさ、ハルウララで当たり馬券をゲットするくらい僕にとっては奇跡だったんだよね。
まあ、それでも大事にしましたよ、サインボール。
今でも僕の実家のどこかに永眠されていると思いますよ。
まあ、そんなこんなで尾上さん、ドラゴンズ優勝おめでとう!

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